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パルナ書房

京の表は壬生、裏に回れば島原の町の本屋~2013年4月でパルナ書房は閉店いたしました。

2013-11-19 パルナ書房、閉店の考察〜2009年出版業界紙「文化通信」寄稿前編

閉店より半年以上が経ちました。
その後、書店から離れていち消費者として振り返ったとき
「なぜパルナ書房は閉店するに至ったのか」が段々と見えてきました。
その町の本屋の「閉店の考察」について語ってみたいと思います。

まずはパルナ書房と3代目の店長として私が行ってきたことの沿革から。

2009年の6月に出版業界紙「文化通信」https://www.bunkanews.jp/
に寄稿、連載された文章がありますので
少々長くなりますがそれに代えさせていただきます。
なお、寄稿したのは4年前ですので文中にある年数も異なります。
あらかじめご承知おきください。

以下前編

                                                                                                                                        • -

20坪の戦略

私の考えたこと、実践したこと、

終戦直後の京都で創業。86年に二代目の父がパルナ書房をJR丹波口駅前に出店した。
売場20坪の内、12坪を新刊書店、8坪をレンタルコミックスとした複合店であった。
96年私が三代目店長に就任した。
幕末に新撰組が活躍した町、壬生、島原で先代が本屋を創業し23年。
近くには中央卸売市場ベンチャー企業集合体の京都リサーチパーク(略称KRP)があり、新旧の混在した町。

山陰本線JR丹波口駅の駅前立地20坪で児童書から成人誌まで揃えた典型的な家族経営の町の本屋で、
10年ほど前までは市場のお客さんで朝から魚の生臭いにおいがする不思議な店。

私は1996年、先代の急逝から当店を引継ぎ13年になる。
もともと他業界におり、出版流通の常識、慣例には戸惑うばかり。
書籍配本システムも知らず取次と版元とよくもめた。
仕入れは取次支店に毎日日参、パートのおばさんに頭を下げてコミックをもらう、
ご機嫌を損ねるとそのおばさんはなかなか伝票を切ってくれないのだ。
なんともみじめな光景だった。

95年までのレンタルコミックス複合店時代の粗利益率は30%、
当時、最先端の複合店の数字を達成していたが、
近所にブックオフが進出したことでレンタルコミックスに陰りが見えてきた。
先代店長は素早く手を打ち書店専業に切り替えを計画。
私が店長になって3ヵ月後に先代が計画、段取りをしていた取次主導のリニュ
ーアル計画にのって店舗全面改装とPOSレジを導入した。
既刊本は取次POSマニュアルにしたがってABCランク順に揃える…
ということを知った。
その効果は絶大で3年間は売上がプラス成長、20坪で1000万に届こうかと…
素人店長としては乗出し順調、しかしなんかおかしくないですか?
取次の支店店売に通い始めた頃、先代と仲の良かった書店仲間が
「なんも心配せんでええよ、本屋って誰でもできるさかいに、
雑誌並べて後は新刊コミックだけわけてもらったらやっていけるし…」
あたたかい言葉をかけて頂いたわけだが、複雑な気分であった。

昔も今も取次の配本システムは批判の的となっているが、
今にして思えば、むしろ取次の配本システムが完成されすぎているがゆえに問題なのではないかと、
だから書店側にプロのノウハウが蓄積されず他業種の参入を簡単に招いたのでは?
そしてその取次頼みの書店経営が97年からのマイナス成長への対応に遅れる原因となったのでは?

売上は絶好調だったが常に漠然とした不安をかかえていた。
ABCランク順に並んだ、いわゆる金太郎飴、近所に大型店が出店しDEFGまで揃えたら終わりでは?
自分の店の棚に魅力を感じないから、出版社との交流会で挨拶しても
「店に寄ってよ、面白いから」と自信を持って言えない。

4年目(97年)から売上減少が始まる、いろんな手は打った

近所の京都リサーチパークKRP)は新しい商圏であり、客層も中央市場から移りつつあった、
KRPの同世代の経営者と直接交流し「今週の雑誌情報」をメールで配信、受注配達サービスを始めた。
配達する中で、この商圏のニーズを確実に把握し取り込むことが一番の目的だった。
さらに彼らと共同でポイントカードシステムの開発導入。やはり顧客囲込、販売促進が目的だ。

しかし売上は下げ止まらない
当たり前だ、棚をさわる時間よりパソコンを見る時間のほうが長いのだから・・・

そして終に売上半減

後編に続く